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ソーシャルメディアが伝えたもの

3月11日は、京都の会社の自席にいました。少しずつ揺れはじめ、徐々に大きくなり、ゆら〜ゆら〜と長い時間揺れました。遠くで大きな地震があったな、と分かる、振れ幅の大きい揺れ方でした。まだ揺れがおさまらない中、ネットで調べてみると、東北で大きな地震があったことが分かりました。そして、Twitterで関東方面にいる方々の情報を待ちました。いつもはある程度の間隔で誰かがツイートしているのですが、このときは時間が止まったかのように、なかなか流れてこなかったのを覚えています。しばらくして、お台場の方面で煙があがっている写真、池袋で人々が集まっている写真、オフィス近くの公園に避難している写真などが、どんどん流れてきました。ビルとビルがぶつかって煙があがっている、といったような情報もあったように思います。東京でこんな状況なら震源に近い地域はどうなっているのか、と事の大きさを実感したのは、このTwitterでの知り合いからの情報だったように思います。そして、UstreamでNHKを流している人がいることを知り、しばらくそれを見ていました。名取かどこかの、津波が家を押し流しながら進んでくる映像は入ってきましたが、日が暮れてきたこともあり、他の映像はあまりなかったように思います。自宅に帰り、夜になると、気仙沼の火災の映像が流れてきました。ただ、被害の全体像は見えず、何か新しい情報が入ってくるかもしれないと思い、テレビをつけたままベッドに入りました。そして朝方、NHKのヘリが飛び、海岸沿いの映像が入ってきました。それは映画のような現実でした。


あれから1ヵ月以上たって振り返ってみると、『整理されたマスメディアの情報』と『生のソーシャルメディアの情報』の大きく分けて2種類の情報を受け取っていたな、と思います。マスメディアはやはり信頼性が高く、特に映像という点において頼れる情報源でした。一方、一部の心無い人が混乱に乗じてデマを流したりなどの問題がありましたが、『生のソーシャルメディアの情報』からは、感情が強く伝わってきたように思います。それは既存の『整理されたマスメディアの情報』では受け取れないものでした。うまく言葉にできないですが、それぞれが自分の言葉で話しているからこそ伝わる感情という情報が、ソーシャルメディアの価値なのかもしれないと思いました。


京都では、海外からの観光客が少ないものの街はいつもどおり変わりなく、一歩外に出るとあれは夢だったのではないか、と思ってしまうほどです。そのギャップに戸惑いながら、この1ヵ月と少しを過ごしてきたように思います。自分の無力さに腹がたつこともありましたが、何かできることをと思い、本当に微力ながら、募金をしたり、情報を流したり、飲みにいったときには東北の日本酒を選んで飲んだりしました。これからもできることを継続しながら、今回伝わってきた悲しみや怒り、不安などの感情が、一日もはやく喜びや楽しみ、幸せの感情になることを祈っています。


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