ご報告その1_母について

自分の母親についてブログに書くなんて、考えたこともなかったですが、ご報告することがあり、振り返るにもいい時期なので、これまでの事もまとめて書くことにします。ご心配いただいている方には、本来であれば会ってご報告すべきところなのですが、ここでのご報告となり恐縮です。


はじまりは、2009年の年末でした。そのとき私は東京に住んでいて、年末年始の休みで京都の実家に帰っていました。母は、少しお腹が痛いと言って、いつもは飲むビールも飲まずに、年末年始を過ごしました。よくお腹が痛いと言う人なので、この時はまぁいつものことかと思っていました。


2010年になり、3月くらいだったと思います。父から、「母親が検査する」と連絡がありました。その時も、あまり大きなこととは思っていませんでしたが、後から聞いたところ、腹痛に耐えれずに夜中に救急で病院に行っていたそうです。私には心配かけまいと言わなかったのだと思います。


そして、2010年4月16日午前、検査結果が出たと父からメールがありました。結果は、大腸ガンでした。金曜日だったので汐留の会社にいましたが、すぐに外に行き、電話をしました。母は妙に落ち着いていて、父は慌てふためいていました。そして、肝臓への転移もあること、肝臓のガンがかなり大きかったことを、父から聞きました。


私は一人っ子なので、ここで自分が慌てるワケにいかないと思いました。病気の母と、慌てている父を支えるのは、自分しかいないと感じました。オフィスに戻り、まずは上司に話をしました。そして、とにかく冷静になろう、と自分に言い聞かせ、とりあえず普通にランチに行きました。そのとき、同じ部署の先輩に話をし、「すぐに帰れ」と言っていただいたことを覚えています。


嫁さんとも連絡をとり、急遽新幹線で京都へ帰りました。あの2時間半は本当に長く、次第に冷静に現実を受け入れ始め、なんとも言葉では言い表せない感情になり、新幹線の中で少し涙を流しました。


そして、実家へ到着しました。なぜか、母の顔を見るなり嫁さんが号泣し、嫁さんと母が抱き合って、母親が「ゴメンね、心配かけて」と言っていました。このときには、私はもう涙の一つも出ませんでした。自分がしっかりしないといけないと、母より泣きそうな顔をしている父を見て、覚悟を決めました。


そこからは、検査検査の日々で、全身の検査をしました。結局のところ、大腸ガンは肝臓の他に、肺にも転移していました。肝臓は、肝臓のうちの半分くらいがガンでした。大きいのが2つ、小さいのは無数にありました。「あまり衝撃を与えないように、破裂する可能性がある」と言われました。それに比べると、肺は1つだけ、小さいものでした。


いろいろと知り合いの方の協力もあり、2010年4月28日に、大腸の手術をすることができました。手術は成功しました。しかし、肝臓のガンは大きすぎて、先生にも「抗がん剤治療をやりながら、生きている限り付き合っていきましょう」と言われました。


このとき母は、6月のサッカーワールドカップは見れないと思ったそうです。私も、どんな本を読んで過去の事例を見ても、先生の話を聞いても、この状態ではあと半年だと覚悟しました。


ここからは、決断は早かったです。すぐに京都に帰ることを決めました。普段はいろいろ考えて物事を決めるのですが、このときは直感で決めました。一番後悔しない選択は、それしかありませんでした。連絡がきても無視するような息子だったので、親孝行をするには時間が足りなかったのです。


運よく今の会社に採用していただき、京都に帰ることになったときには、もう2ヵ月がたっていました。あと数か月、親孝行しようと思いました。と同時に、少しの望みを持って、できることはやろうと思い、体質改善のための食生活を調べ、また抗がん剤治療の副作用を調べ、有機栽培の野菜を取り寄せ、副作用を和らげる方法をしたりしてきました。


そして、2011年を迎えることができました。母は、「年賀状を出せるとは思っていなかった。喪中ハガキを用意してもらわないといけないと思っていた。」と言いました。他に持病がなく、薬が効きやすい体質の母は、劇的とまでは言えないものの、少しずつ肝臓のガンが小さくなっていました。


発覚から1年の2011年4月16日は、ささやかながらお祝いをしました。このときには、肝臓のガンは当初の半分くらいの大きさにまで小さくなっていました。


そして、2011年5月、先月ですが、肝臓のガンを手術で取り除けることが決まりました。先生も、「奇跡的」と言うほど、薬が効いてくれました。副作用はもちろんあり、髪の毛は抜け、肌は荒れて出血し、手足はしびれ、見ているだけでも辛いような日々でしたが、この6月に5時間の手術を行うことが決まり、これが成功すれば、あとは肺の小さいものだけになるので、抗がん剤も副作用が軽いものになる予定です。


いろいろとご心配いただいていた方には、本当に感謝しております。そして、ご迷惑をおかけした皆様には、本当に申し訳ないです。


まだ終わってはいませんし、一生付き合っていかないといけないことで、手術もどうなるか分かりませんが、このことで多くのことを考えました。普通に生活していることがいかに幸せなことか、限られた人生の時間をどう生きるのか、はじめてまともに考えたかもしれません。


とにかく今は手術の成功を祈って、そしてあと2つのご報告することのためにも、一日一日大切に生きていきたいと思います。


ご心配いただいている皆様への感謝を忘れずに・・・